瞑想について
瞑想の初段階では、生徒は自分の意識的な心を静かにすることを学びます。
彼は、外界から注意を引っ込め、内側の対象に集中します。
彼の心の意識的な部分がリラックスすると、彼は、彼の内なる静けさを乱す一連の考えに気づきます。
その瞬間、生徒は断固とした態度を取るべきであり、それら過去の印象と自分自身を同一視すべきではありません。
彼は、集中の対象に全注意を払うべきであり、それは、彼が自発的に湧き起こる記憶に巻き込まれないままの状態でいることを助けてくれます。
次第に、彼はその層を通過し、純粋な真理を体験し始めます。
真理の体験とは、それ自体純粋です。
探求者が彼の心の意識的な部分を理解し、それによりその制御を達成したとき、自然と彼は巧みに効果的に行動をとります。
無意識に比べると、心の意識的な部分はとても小さいのです。
しかしながら、無意識と顕在意識の間には密接な相互作用があります。
ひとたび探求者が、心の顕在意識に源を発する心の混乱から自由を獲得したならば、彼は無意識の心から発する構成概念をより良く理解することができます。
長期間の乱されない実践を通して、生徒は深く潜り、彼の生まれつきの可能性に通じるようになります。
彼は、外的世界の体験が彼の内的世界の反映であることに気づきます。
人類は膨大な知識の宝を受け継いでいます。
それらは、もし心が一点集中し内的になると、その宝にアクセスできるようになります。
心を超えて、知性があります。
知性の力は、心の機能を導きます。
心が純粋になったとき、覆いは取り除かれ、それにより一点集中が獲得されます。
そのとき、このような心は、知性の導きに従いはじめます。
いつも疑いの状態である心とは違い、知性は識別力と決断力に恵まれています。
心は知性のより高い機能によって充分に導かれ、平和と幸福を達成する重要な道具となります。
しかしながら人は、気が散った心は集中していないので、知性の声を聴くことができないということを思い出すべきです。
知性は、一点集中した心だけを導くことができます。
それ故、霊的な実践における最も重要なステップは、心が知性と呼ばれる決定的な機能によって導かれるように、心を一点集中させることです。
心を一点集中する方法は、瞑想と呼ばれます。
瞑想を通して、探求者は外界から彼の心を引込め、与えられた内的な対象に集中し、内部を探索する興味を発達させます。
瞑想に熟練するにつれ、心は一点集中し、修正は取り除かれます。
このような静かな心は、知性と共に働き始めます。
どのような矛盾も、心と知性の働きの間にはありません。
通常は、疑いや葛藤というような心の不純さが知性を汚すのですが、瞑想を通して、これらの汚れは心の領域からは取り除かれます。
知性は心の活動によって妨げられませんし、瞑想者は内的な驚くほどの平和を体験します。
聖典の中で、知性はアートマンへの最も近い鏡として記述されています。
知性の鏡が透明である限り、それはアートマンの最も透明で最も歪みのない姿を映し出します。
それ故、ウパニシャッドによると、人は、知性が水晶のように純粋であることができるようにと、心からあらゆる不純物を取り除き、あらゆる疑いや葛藤のないようにするべきなのです。
より低い心の影響から、知性は充分に調和した状態にあることがわかります。
このような知性のみが、探求者が自分を信頼し頼ることを可能にするのです。
このような知性を獲得して、瞑想者は人生の目的地は遠くないことを知るのです。
(Spirituality: transformation within $ without by Swami Rama 翻訳:羽沼真理世)